Home / BL / 天符繚乱 / 第八話 寤寐思服

Share

第八話 寤寐思服

Author: 春埜馨
last update Last Updated: 2025-09-22 11:15:08

深い眠りに落ちた|墨余穏《モーユーウェン》は、記憶を辿る夢に沈んだ。それは鮮明に、|墨余穏《モーユーウェン》の瞼の裏に立ち現れる。

かつて尊仙廟の近くにあった|豪剛《ハオガン》の家で、十五歳の|墨余穏《モーユーウェン》は、修得したばかりの呪符を書き連ねていた。

「うん! よし! これでいいだろう」

|豪剛《ハオガン》から道教の仙術を一通り習い終えた|墨余穏《モーユーウェン》は、様々な呪符を書いては時々現れる妖魔をことごとく抹消し、|豪剛《ハオガン》も感心してしまうほどの強さと実力を持ち始めていた。

|豪剛《ハオガン》に引き取られたことが功を成し、|墨余穏《モーユーウェン》の人生は大きく変化していった。

するとそこに、出掛けていた|豪剛《ハオガン》が、何やら大きな荷物を抱えて帰ってくるではないか。

「お〜い! |墨逸《モーイー》〜! 生きてるか〜? 大魚だぞ〜!」

「お、父ちゃんお帰り! わぁ、すげぇ!」

二人で食べるには大き過ぎるほどの川魚が、卓の上にどさりと置かれた。|墨余穏《モーユーウェン》は目を丸くして続ける。

「凄い大きいね。どうしたの?」

「ん? あぁ、河川で妖魔が出るっつーから、見に行ってやっつけたら、魚屋のおっちゃんらが礼にってくれたんだよ〜。これで、しばらく死なずにすむな〜、あははははっ」

時々、こうして人助けをしながら、|豪剛《ハオガン》は色んなものを持って帰ってくる。

先日は、絵を生業としている男の家で頻繁に出没する幽霊を退治しに行ったら、その礼にと瞬く間に本懐を遂げてしまうような、完成度の高い春画の巻物を貰って帰ってきた。

物だけではない。

昨日は、妖魔なのか人なのか分からない痴れ者まで連れて帰ってきてしまい、悪戦苦闘していた。

こういう人垂らしなところがある|豪剛《ハオガン》は、日頃から人に尽力している為、多少の難癖があっても角を出されることはない。

「墨逸! 火を起こすの一緒に手伝ってくれ」

「うん!」

二人は外で火を起こし、贅沢に塩を塗りこんで、魚を焼き始めた。焚き火の前で二人はたわいもない話をしながら、|豪剛《ハオガン》は思い出したかのように、天台山で開催されるある会について話し出した。

「あ、そうだ! |墨逸《モーイー》。お前のような各門派の青年たちが集う天流会っつーのが毎年あって、俺も若い頃行ったことあるんだが、道教の座学を学んだり霊符や仙術を実践する会があるんだ。一生の友もできるぞ。行ってこないか?」

「へー、別にいいけど。俺、行っていいの?」

「もちろんだ。お前もまぁまぁ強くなってきたから、そこに行って力を試してこい。今年は寒仙雪門に強者がいるらしいぞ。どういう奴か見てきてほしい」

「ふぅ〜ん。俺はどこの門派にも所属していないけどいいの?」

魚をひっくり返しながら|墨余穏《モーユーウェン》は尋ねた。すると|豪剛《ハオガン》は、意気揚々と自分の胸を左手で叩き、言葉を張り上げる。、

「天台山何ぞ、大篆門に名を馳せたこの俺の名で簡単に入れるさ! 余裕余裕! ただ、あの春画だけは持っていくなよ。|道玄天尊《ドウゲンてんずん》の師妹に燃やされるからな」

「え? 父ちゃん、まさか若い頃持ってったの?」

|墨余穏《モーユーウェン》は、ぎょっと目を凝らし|豪剛《ハオガン》を見遣る。

「ぶはははははっ! そんな顔で見るなよ、|墨逸《モーイー》〜。昔の話だ。天流会なんて尻の青い男連中の集まりだぞ。それにふた月半もあるんだ。女の|玉桃《ぎょくとう》を拝みたくもなるだろ〜」

|豪剛《ハオガン》はそう言うと、綺麗に焼け目のついた魚を一つ取り上げ、そのまま齧り付いた。

「うん、やっぱり魚は美味ぇ〜な。|墨逸《モーイー》も喰え。あ、天流会は明日だからな。準備しとけよ〜」

(そんな急なの? )

普段から豪胆で唐突な|豪剛《ハオガン》に慣れているとはいえ、今回ばかりは戸惑いを隠せなかった。

|墨余穏《モーユーウェン》は苦笑いを浮かべながら、「分かったよ」と言い、|豪剛《ハオガン》のように焼け目のついた魚に齧り付いた。

そしてよく眠れないまま、翌日の天流会を迎える。

|墨余穏《モーユーウェン》は、|豪剛《ハオガン》から預かった通行書を持って、人里離れた天台山へ向かっていた。

(……ったく、父ちゃんは。もっと早く言ってくれよな〜)

|墨余穏《モーユーウェン》は、ぶつくさと小石を蹴りながら小道を歩いていく。

天台山の麓に入り、更に奥へと歩みを進めていると、同じ天流会へ向かう者だろうか。髪を一つに結い、襟元に青色の線が入った白い衣の男が、手に持った地図を見ながら分かれ道の前で立ち止まっていた。

人見知りなど無縁の|墨余穏《モーユーウェン》は、その男に声を掛ける。

「もしかして、あなたも天流会へ?」

背後から突然声を掛けられた白い衣の男は、一瞬|墨余穏《モーユーウェン》の方に振り向くが、「あぁ、そうだ」と言ってすぐに目線を戻す。

|墨余穏《モーユーウェン》はそんな素っ気ない白い衣の男に、怖けることなく言葉を続けた。

「ねぇ、俺も天流会に行くんだ。良かったら一緒に行こうよ。天台山に行くの初めてなんだ。隣にいてくれたら心強い」

白い服の男は何も言わなかったが、小さくコクっと頷いた。

「んで、どっちに行くんだ?」

「……私も分からない」

「じゃ……」と、|墨余穏《モーユーウェン》は地面に落ちていた石ころを一つ手にとって、「石が入ってる方は右、入っていない方が左」と言いながら、白い服の男の前に両手を突き出した。

「選んで。あなたが選んだ方についていく」

白い服の男は戸惑いながらも、|墨余穏《モーユーウェン》の右手を選んだ。

「はははっ。石が入ってる。じゃ、右へ行こう。行き止まりだったら戻ればいいんだし、とりあえず前に進もう」

|墨余穏《モーユーウェン》はそう言って、白い服の男の袖を引っ張り、右側の道へ歩みを進めた。

「俺、|墨余穏《モーユーウェン》。字は|墨逸《モーイー》。齢十五だ。大篆門出身の養父に仙術を習ってる。あなたは?」

「……私の名は|師玉寧《シーギョクニン》。字は|賢寧《シェンニン》。齢十八だ。寒仙雪門から来た」

「え?! あなたが寒仙雪門の強者? 通りで貫禄があるわけだ〜! じゃ、|賢寧《シェンニン》兄って呼んでいい? 俺のことも字で呼んでくれていいから!」

それからというもの、|墨余穏《モーユーウェン》は初めて会った人とは思えないほど、|師玉寧《シーギョクニン》に淀みなくしゃべり続けた。

返ってくるのは短い返事ばかりで、決して口数が多い訳ではなかったが、|師玉寧《シーギョクニン》が時々、口元を緩めたり、目を合わせてくれるだけで|墨余穏《モーユーウェン》は嬉しかった。

こうして、天台山へ向かう道中はあっという間に過ぎ去り、二人はようやく厳かな天台山の門に到着した。

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Comments (1)
goodnovel comment avatar
Eve郁
馴れ初め編。体感10秒で読み終わってしまいました…… 墨余穏くんみたいな気楽に接してくれる人、一緒にいてすごく落ち着きそう うぅ、続きも気になります…… 楽しみにしてます!
VIEW ALL COMMENTS

Latest chapter

  • 天符繚乱   第十九話 鳥鴉盟

    物々しい雰囲気が漂う鴉の住処で、|鳥鴉盟《ウーヤーモン》の|青鳴天《チンミンティェン》は、虚な目をして黒石の冷えた床に額を付けていた。 「お前はまだ、|緑稽山《りょくけいざん》を仕留められないのか?」 石の床が僅かに震えるほど低い威圧的な声が、青鳴天の耳に襲い掛かる。「はい……」と震える声で答えながら、青鳴天は更に額を床に擦り付けた。 「お前は一体、どこで何をしている。天台山の力が弱まった今、我々が天下を取れる千載一遇の好機なのだぞ。|阿可《アーグァ》と手を組んでやっているというのに、お前と来たらこの有り様か。これ以上、私を絶望させないでくれ」 「……申し訳ありません。父上」 自分の倅だというのに、居丈高で有名な鳥鴉盟の盟主•|天晋《ティェンシン》は、害虫でも見るような目で青鳴天を見下ろしていた。 天晋は、僅かに肩を震わす|青鳴天《チンミンティェン》に向かって、更に言葉を振り下ろす。 「かつてお前が殺したはずの|墨余穏《モーユーウェン》が生きていると聞いた。まさか、それも仕留めそびれていたと言うんじゃないだろうな」 「ち、違います! 確かに私は奴を殺しました! けれど……」 青鳴天は顔を上げ、先日墨余穏と屈辱的な再会を果たしたことを、嫌悪感混じりに話した。 「━︎━︎あれは確かに、あの時のままの|墨余穏《モーユーウェン》でした。どうして甦ったのか、私にも分かりません」 「妙な話だ」 |天晋《ティェンシン》は伸びた髭を弄りながら|青鳴天《チンミンティェン》を見遣る。 青鳴天は続けた。 「巷の噂では、奴は今|寒仙雪門《かんせんせつもん》に身を寄せていると聞いています」 「寒仙雪門? 相変わらず|師《シー》門主も変わり者だな。あのような者を匿ったとて、何一つ良いことなどないのに」 「そうです! 父上の仰る通りです! あの者はもう一度私が必ず……」 |天晋《ティェンシン》は、お前がか? とでも言いたげに、|青鳴天《チンミンティェン》を一瞥した。 その背筋が凍るような視線を感じた青鳴天は、それ以上言葉を繋げることができず、唇を噛みながら俯いた。 「ふん。まぁ、いい。奴は最後の砦にしよう。先ずは|緑琉門《りゅうりゅうもん》からだ。それから|寒仙雪門《かんせんせつもん》へ行けば、奴は自ずと消えるだろう」 天晋は陰湿な笑

  • 天符繚乱   第十八話 金杭州

     |墨余穏《モーユーウェン》は胸の痛みを隠しながら、「そっか」と無理矢理笑みを作った。気まずくなるのが怖くて、墨余穏は更に言葉を続ける。「一緒に過ごせるといいね、その人と。もし、その人と|賢寧《シェンニン》兄が結婚したら、俺はちゃんと玉庵から出て行くから安心して。あ、もう出てった方がいいかな? |金王《ジンワン》先生に診てもらったら、そのまま俺は違う所へ行くよ。俺は|賢寧《シェンニン》兄が居なくても、どこでも生きていける」  鼻の奥がツンとした。 本心じゃないことを口走り、目縁がほんの少し濡れ始める。 墨余穏は師玉寧に見られないように、後ろを振り返って黒い袖で目縁を拭った。 すると、師玉寧はずっと瞳を揺らしながらこちらを見ている。「ん? どうした? |賢寧《シェンニン》兄」「……お前にも、好いている者がいるのか?」 言おうかどうか迷ったが、|墨余穏《モーユーウェン》はそれとなく答えた。「俺? あははははっ。そうだね、いるよ。死ぬ前からずっと思いを寄せてる人が。でも、その人は高嶺の花みたいでさ。ずっと触れられそうで触れられないんだよね。その人にも大切な人がいるみたいだし……」「そうなのか……」 これまで感じていた空気が、夕陽ごと一気に沈む。 女夜叉のせいで足止めを食らってしまった為、夜分に押し掛けるのは良くないと判断した二人は、山を登らず近くにあった簡易的な宿に身を寄せた。それぞれの部屋から大きな溜め息と鼻を啜る音が聞こえていたのは、誰も知らない。 重苦しい夜長がようやく明け、澄んだ朝がやってきた。 何事もなかったかのように二人はいつも通りの雰囲気で山を登り、無事|金王《ジンワン》医官の所へ到着した。 山奥に聳え立つ一軒の屋敷の外は、ありとあらゆる薬草で溢れかえっており、独特な匂いが漂っていた。簡易的な木の門の前で二人の姿を捉えた銀髪の長老・金王は、持っていた桶を真ん中で持って小さくお辞儀をする。|墨余穏《モーユーウェン》と|師玉寧《シーギョクニン》も丁寧に拱手し、|道玄天尊《ダオシュエンてんずん》の紹介でここを訪ねたと話した。「はい。伺っておりますよ。天台山の若き道士が来られると。あなたが、あの|豪剛《ハオガン》の……。どうぞお二人ともお入りください」『お邪魔します』 同時に発した言葉が重なり、二人は互いを見遣る。 墨余穏は

  • 天符繚乱   第十七話 金華の猫

     |黄林《フゥァンリン》の後についていくと、|金龍台門《きんりゅうだいもん》の正門付近で、松明を持った人集りが見えてきた。 「何が起きたんだ?!」  眉間に皺を寄せながら|墨余穏《モーユーウェン》が黄林に尋ねると、黄林が口を開く前に|金冠明《ジングァンミン》が先に口火を切った。 「ここ最近、|金華《きんか》の猫という人間に化けた妖獣がこの周辺に出没し始め、男なら男根と金品を奪い、女なら下腹部の人肉……特に子を孕んでいる女子は母胎ごと取られるという悲惨な事件が頻発している」 「はぁ……」  |墨余穏《モーユーウェン》は顔半分を歪ませながら、その悲惨な現場を目撃する。丸裸の男が横たわり、下半身から悍ましい量の鮮血を漏らしている。まるで、血溜まりの上で身体が浮いているかのようだ。墨余穏は思わず、大事な部分を隠すかのように、身体をくの字にして縮こまった。「|道玄天尊《ダオシュエンてんずん》が言っていた、根こそぎ取られるというのは、こういう意味なのか……」 顔を歪ませながら|墨余穏《モーユーウェン》がそう言うと、背後にいた|師玉寧《シーギョクニン》が死体を見ながら呟いた。「しかし、凄い血の量だ。余程、男に強い怨みがあるのだろうか?」「いや、まだ男ならこの程度で済みますが、孕んだ女子の死体はもっと悲惨ですよ……。顔も抉られ、原型を留めません。あれは言葉を失うぐらい、目も当てられませんよ……」 |金冠明《ジングァンミン》は俯きながら、そういう死体を幾つか見てきたと言う。俯く金冠明を見たあと、|墨余穏《モーユーウェン》は目線を死体に向けた。この死体と金華の猫との間に何があったのかは分からないが、少なからず金華の猫は人間の心を得てして、男女問わず人間に強い怨みを抱いていることは間違いない。金と男女の縺れは人の人生を狂わすと、|豪剛《ハオガン》が生前言っていたのを思い出し、墨余穏は小さく息を吐いた。  墨余穏はそっと、一途に想う恋の相手に視線を向ける。 その相手もまた、何かを思うように死体を見つめていた。「|水仙玉君《スイセンギョククン》。何か気になることでもあるのですか?」 |金冠明《ジングァンミン》が|師玉寧《シーギョクニン》に訊ねると、師玉寧は死体を見つめたまま小さな声で呟いた。「いや、昔を思い出しただけだ……」 聞いていた|墨余穏《

  • 天符繚乱   第十六話 金龍台門

    (何で先に行っちまったんだろ、|賢寧《シェンニン》兄は……。俺、何かしたのか? ) |墨余穏《モーユーウェン》は段々と親鳥に置いていかれた雛鳥のように寂しさを募らせ、怒りよりも疑問が膨れ上がってきた。|師玉寧《シーギョクニン》の行動が全く理解できず、|墨余穏《モーユーウェン》は自分に何か非があったのか、何か怒らせるようなことをしたのか、考えを巡らせる。 (行きに俺が冷たくあしらったからか? もしかして昨日の夜、飲めなかった一葉茶を庭先にこっそり捨てたのを知っているとか? いや、そんな単純じゃないか。ん〜……、あ、そうか! |香翠天尊《シィアンツイてんずん》が俺に触れたから、それで機嫌が悪くなったのか! うん、それしか考えられない。ったく、図体はデカいくせに、そういうところは小さいんだよなぁ〜) 勝手な理由を見つけると、|墨余穏《モーユーウェン》は妙に自分で納得してしまい、それ以上追求するのをやめた。 |師玉寧《シーギョクニン》のことを考えていたら、あっという間に金龍台門へ繋がる賑やかな下町に到着し、|墨余穏《モーユーウェン》は久しぶりに絢爛華麗な雰囲気を肌で感じた。 金龍台門のお膝元となるこの下町は、昔から商いの町として知られ、出店で賑わっている。華やかさゆえに妓楼も多く存在し、客を捕まえやすいのか、昼夜関係なく酒楼の前で首元をはだけさせた若い女たちが立っている。|墨余穏《モーユーウェン》の目の前にも、待ち構えていたかのように一人の仙姿玉質な妓女がふらふらとやって来た。 「そこのお兄さん、お一人? もし良かったら私と一緒に遊ばない?」 「あははっ、美人さんからのお誘いを断るのは忍びないけどごめん。今から金龍台門へ行かなきゃならないんだ。それに、先に行っちまった美人を今度こそ怒らすとまずいから、もう行かないと」 「そっかぁ〜、お兄さん彼女いるんだぁ〜、残念! でも、ちょっとだけ。だめ?」 妓女は墨余穏の腕を掴み、大きな果実のような胸を擦り付けながら、上目遣いで引き止める。 「ごめんよ、お姉さん。他を当たってくれないか」 |墨余穏《モーユーウェン》は苦笑いをしながらそっと腕を引き抜き、駆け足でその場を後にした。 (危ない危ない。こんな所で道草食ってる場合じゃないんだ。早く|金冠明《ジングァンミン》のところへ行かないと、待た

  • 天符繚乱   第十五話 天台山

    |師玉寧《シーギョクニン》にこっ酷く叱られた後、霊力を封じられた|墨余穏《モーユーウェン》は、魂魄の状態を|道玄天尊《ダォシュエンてんずん》に見てもらう為、|師玉寧《シーギョクニン》と天台山へ向かうことにした。 「ねぇ、|賢寧《シェンニン》兄〜。|道玄天尊《ダオシュエンてんずん》のお力で、どうにかなるかな〜」 「それは分からない。だが、行ってみる価値はある」 これまでも数々の難題を解決してこられた天尊だ。 何か手立てを指し示してくださるかもしれない。 |墨余穏《モーユーウェン》はそんな淡い期待を胸に抱き、|師玉寧《シーギョクニン》と途切れ途切れな会話をしながら、山頂を目指した。 しばらく歩くと、天台山の門へ繋がる分かれ道に差し掛かる。 「お! 懐かしいね〜ここ。覚えてる? この分かれ道で俺ら出会ったんだよ。また石ころ遊びでもする?」 「しない」 |師玉寧《シーギョクニン》は相変わらず不機嫌のようだ。 (そりゃそうだよな。俺と一緒にいるってだけで、こうして毎度、面倒事に巻き込まれる……) |墨余穏《モーユーウェン》は|大篆門《だいていもん》に行ったことを腹の底から後悔した。もしあの時|豪剛《ハオガン》が近くに居たら、絶対に行くなと止められていたはずだ。 |師玉寧《シーギョクニン》を横目で見る。 他にも門主としてやる事があるはずなのに、|墨余穏《モーユーウェン》は申し訳ないという気持ちに駆られ、「ごめん」と謝った。 「別にお前の為に天台山へ行く訳じゃない。別件で用があるからだ」 「用って? |道玄天尊《ダオシュエンてんずん》に?」 「違う。|香翠天尊《シィアンツィてんずん》だ」 「……ふぅ〜ん」 香翠天尊と聞いて「またか……」と胸の内で嘆き、|墨余穏《モーユーウェン》は大人げなく不貞腐れた。 そして、じわじわと目には見えない大きな虚無感が墨余穏を襲い始める。 横にいる|師玉寧《シーギョクニン》を見ていると、自分のことなど何一つ眼中にないのだと分かる。自分が死んだ後も、天流会で出会った知り合いが死んだ程度にしか思っておらず、それ以上はきっと何も思わなかったに違いない。今、横にいるような澄ました顔で「そうか」と受け流し、変わらない日常を送っていたのだろう。 |墨余穏《モーユーウェン》は、更に勝手な妄想をし

  • 天符繚乱   第十四話 大篆門

     |師玉寧《シーギョクニン》の背中に乗るという夢のような体験は瞬く間に幻と化し、|墨余穏《モーユーウェン》は無事寒仙雪門に辿り着いた。玉庵へ続く石段を二人で登っていると、一人の弟子が扉の前でじっと立っているではないか。墨余穏は目を細めて師玉寧に尋ねる。 「お! あれは|一優《イーユイ》か? それとも|一恩《イーエン》? あ、もう一人いたな? 確か|一明《イーミン》だっけ?」「あれは一優だ。一明は、父上の所へ行ってもらっている」 |師玉寧《シーギョクニン》の下には、見分けのつかない三つ子の弟子がいる。どこで個々を判断しているのか尋ねると、師玉寧は眉の位置と声の違いで判断しているという。|墨余穏《モーユーウェン》はさっぱり分からないといった様子で視線の先にいる一優を見る。 |一優《イーユイ》はこちらに気づくと、やっと帰ってきたと言わんばかりに目を輝かせ、二人の前で拱手する。「|師《シー》門主、|墨逸《モーイー》兄さん、お帰りなさい。至急こちらを門主に渡すようにと言われ、ここで待たせていただいておりました」 |師玉寧《シーギョクニン》は、「分かった」と言って、届いた一通の書簡を|一優《イーユイ》から受け取った。包みを丁寧に開け、中の紙をゆっくりと取り出し、達筆で書かれてあった文字を読む。 すると|師玉寧《シーギョクニン》の表情がたちまち曇り始め、眉間に皺を寄せた。「どうしたの? |賢寧《シェンニン》兄? そんな怖い顔して」 師玉寧は無言で、墨余穏に紙を手渡す。「何? 読んでいいの?」 墨余穏はそう言って、紙を受け取り読み始める。「ん〜っと、どれどれ。師門主殿。甦った|墨余穏《モーユーウェン》がそちらにいると聞いた。至急、墨余穏と話がしたい。三日以内にこちらへ来るよう、本人に伝えてもらえないだろうか。決して悪いことはしない。時間がないのだ。よろしく頼む。|高書翰《ガオシューハン》」 |墨余穏《モーユーウェン》は|師玉寧《シーギョクニン》の顔を見ながら確かめるように「だって」と笑う。 「どうする? 行くのか?」「まぁ、そうだね。ここは|賢寧《シェンニン》兄の顔を立てて、行ってくるよ」「大丈夫なのか? 高門主と仲違いしているのではないのか?」 |師玉寧《シーギョクニン》は眉間に皺を寄せたまま、心配そうに尋ねる。|墨余穏《モーユーウェン》は

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status